太田市議会 2010-09-07 平成22年 9月定例会−09月07日-04号
それから、偏差値教育の話がありましたけれども、偏差値というのは、やはり人間を早目に輪切りにしてしまう悪いことがあります。だから、あいつはばかだとか、あいつはすごく頭がいいとか、初めからこうやって決めつける、これが人間の可能性というのを幾らか削除してしまうと私は思うのです。
それから、偏差値教育の話がありましたけれども、偏差値というのは、やはり人間を早目に輪切りにしてしまう悪いことがあります。だから、あいつはばかだとか、あいつはすごく頭がいいとか、初めからこうやって決めつける、これが人間の可能性というのを幾らか削除してしまうと私は思うのです。
しかし、物質的な豊かさを追求する勢いは、高度経済成長とともに激化し、1億総中流意識のもと、子どもの教育に対する関心も高まり、偏差値教育、受験戦争などという言葉も生まれました。その後、物質的に豊かな社会の中で少子化が加速され、ゆとり教育で育った子どもたちは、こだわりを捨てれば全員どこかの大学に入学できる時代となりました。
その際、不登校の児童生徒等も増加傾向に出てきたので、そのときに一般的に言われたことは、中学校における詰め込み教育と受験競争の過熱化が子供たちの暴発につながったということで、標準偏差値教育等、あるいは業者テスト等を撤廃して今日に至っているわけですけれども、果たして詰め込み教育、中学校の進路指導の加熱が子供たちの校内暴力あるいは暴発行為を招いたのではと短絡的に考えることが、果たしてどうかということは後になって
平成5年というのは偏差値教育の打破ということで、あれから10年ほどたちますけれども、この偏差値教育の弊害がちまたで指摘される中から大きく転換をしたわけでございます。
かつて偏差値教育、詰め込み教育をやったときに、国民挙げておちこぼれをつくったのは何が原因だったか、詰め込みではないか、もっとゆとりをつくれ、ゆとりをつくれと言っている、その人たちが今結局学力である、学校は何もしていないではないかという批判であります。まことに難しい問題であります。
しかも、偏差値教育で子供たちの大学の進学先がある程度決められるというような状況なんかもございます。だから、そういう方向性等がマスコミ等で報道されている中で、保護者の方々や関係者はどのように考えられるかということで、そういう一抹の懸念もございます。
◎教育長(正田喜久) 実は、今特定な学校というお話でありますけれども、偏差値教育が否定されてから、子供たちの進路志望というものが大幅に変わりました。どういうことかというと、昔は何が何でもあの学校へ行きたいという意識があったわけですけれども、今はそうではなくて、今自分の持っている力の入れるところを選ぶという傾向に変わってきた。
私が考えますに、1984年より始まりました、先ほども何度か出てきました個性化教育の中で、教育も偏差値教育から個性値教育に進み、今は心の豊かさを重視した段階に入ってきました。その中で、先進国と言われております諸外国のあり方では、先端産業のすぐ隣にこの食に関する農業が目に見えるほど近いところに位置づけられております。
現在の学校教育は学歴偏重社会の傾向と相まって、偏差値教育あるいは没個性の管理教育に陥っていると指摘されて久しいわけであります。そんな中で先ほど富沢徳好議員からもお話がございましたように、教育現場ではいじめや不登校、あるいはまた校内暴力、さらには最近に至っては学級崩壊から学校崩壊、ゆがみが噴き出し深刻な状況にあり、その改善に向けた論議が活発に繰り返されております。
子供たちがゆとりという意味の中では、今の高校教育を見ても、偏差値教育というのが終わりましたけれども、逆にまた偏差値がないかわりにそのほかの中で子供たちの内申書の問題等々、こういったことがまた一つの弊害にもなっております。ぜひそういったものもお考えをあわせて、取り組んでいただきたいというふうに思う次第であります。 先ほどの第2点目に入ります。
東京都の足立区では、元小学校教諭が先生役となって学校の教科書の復習に徹し、偏差値教育とは無縁の現代版寺子屋のおさらい教室が人気を集めており、児童の学力向上だけでなく、高齢者の生きがいづくりについても役立っていると大好評のようでありますし、学校の先生はカリキュラムの消化に追われ、前へ前へ進むので、すっかり理解するまでなかなか指導の手が及ばないという面もあり、理解できるまで繰り返し繰り返し教えてくれるこの
教育問題においては、偏差値教育に見られる受験戦争、いじめや登校拒否、薬物の乱用、少年の刃物による殺傷事件の抑圧等に対応した教育行政が求められておりますが、総括質問においても市長から、将来の日本を担う子供たちの教育に対し真剣な御答弁をいただきました。
卒業式も13日に終わり、高校入試が一応16日に発表と、こういうことなのですが、この高校入試の発表が終わるとPTAとか父兄の皆さんから、16校ある中学のうち、うちの学校は何番目の高校入試の成績だとかそういううわさがちまたに流れるわけですが、学校の偏差値教育は小学校、中学校はなくなったわけなのですけれども、中学校の中でそういうランク別というのがまずあるかないか、そういううわさを聞いているか。
一つは、市長は人づくりを政治理念とされておられますが、収賄容疑で逮捕されたあの大蔵省官僚や日銀幹部は、現在の偏差値教育と管理主義教育で選び抜かれたエリート中のエリート、そういうふうに言えるんじゃないでしょうか。こういう人物が銀行や証券会社に驚くような飲み食い、接待をせびって、そして不正行為や乱脈経営を見逃してきた、大蔵行政をゆがめて平然としていたわけであります。
しかしながら、戦後の高度経済成長を経て、学校や家庭、地域の役割が大きく変化する中で、偏差値教育に見られる受験戦争に始まり、いじめや登校拒否、薬物の乱用、そして少年の刃物による殺傷事件の続発と、教育は大きな曲がり角に差しかかっております。
さて、本題に入りますが、この10年来我が国では国を挙げて教育改革が叫ばれ、受験戦争、偏差値教育、学歴偏重主義の弊害を打破し、真の人間教育を模索するさまざまな取り組みが開始されました。
偏差値教育廃止後の進路対策について、学校週5日制について、青年層の社会参加について、以上3点をお伺いいたします。 まず最初に、偏差値教育廃止後の進路対策について。 我が国は、21世紀に向けて国際的地位にふさわしい教育、ゆとりある文化社会の実現を目指しています。
現代に通じる教育の、例えば偏差値教育であるとか、あるいは詰め込み教育、一斉画一の授業、知識ばかり多ければ受験ができるというような状況から大転換して、学力観を変え、進路指導のあり方を変え、そういうことを今高崎市では取り組んでおりまして、高崎市としての新しい時代、その学力観を確立をいたしまして、そのために指導方法も個に応じ、そうして個性を生かし、しかも子供主体の授業そういうものに変えていくのだということで
◆委員(小野里博君) 新聞報道等によりますと、公立高校の入試のありました3月7日ですか、恒例によりまして今まで1、2年生に対して業者テストといいますか学力検査を今まで実施をしておりまして、昨年の1月に文部省の方から偏差値教育の禁止ということで指示がありまして、昨年は余りなかったようでございますが、本年度においては市内の16校のうち7校で業者作成のテストを実施をしたと、こういう報道がされております。
偏差値教育の弊害から、昨年2月文部省は高等学校の入学者選抜についてという通知を出し、業者テストの偏差値を進路指導に用いないという方針が打ち出され、本年初めての制度での入学選抜が実施されます。この大きな変化は、当事者である生徒はもとより、父母、学校関係者も戸惑いと不安の中でその時期を迎えつつあります。